火の神話学 第2章 古代人と火
#### 1 旧石器時代のイエと火
#### 2 縄文文化と炉の展開
現実的に、縄文土器に始まる長胴の什器は、竈の出現時期まで続く。そこを一つのピークとして、やがて器は、丈を短く、底を広く安定した形へと変わっていくことは、長い器の歴史を眺めたときに、見逃しえない転機であるであることは間違いない。中期の実用的な大型把手が、中期後半、さらに後期土器へと以後ほとんど消滅している事実も、このことと無関係ではない。
ところで、吊るす方法はどうなったか。それは、その後現れる自在鉤と一体になった囲炉裏に続くのではないだろうか。とするならば、「縄文時代中期にみる、この土器利用の機能性は、日本のその後の、竈・囲炉裏といった火を扱う調理施設文化の大きな二つの、いわば遡源的姿を現出したもの」ではないだろうか――これがこのユニークな仮説の要点である。
いずれにしても、 縄文時代における炉を中心にした火の使用という文化は、その後二〇〇〇年以上にわたって、二〇世紀後半の高度経済成長の直前まで続いた、家族形態のあり方と日本の伝統的な火にまつわる文化の根幹をなすものであった、といえるであろう。
古代の火を考えて何が楽しいかと感じるかもしれないが、ここは日本人のアイデンティティを形成した文化の土壌になった可能性が高い。稲作によって作られたコメは、囲炉裏を囲んでヒトの腹に収まった。囲炉裏がイエを形作った。
ヒトがヒトになるためには、自らの手で火を作ることができるようにならなければならなかった。
動物と比較したときの、ヒトのアイデンディディ。
これまではそれも「正解」だったかもしれないが、もし賢く手先が器用な動物が火を扱えるようになった暁には、覆ることになる。少なくとも、これからの時代は、それが容易に起こりうる。
ちなみに、『古事記』のオオクニヌシノミコトの国譲りの条では、櫛八玉神が料理人となって、オオクニヌシのために食事を作るとき、「鵜に化りて、海の底に入り、……海布の柄を鎌りて、燧臼に作り、海の柄をもちて燧杵に作り、火を鑽り出で」たという。 つまり、海底に火を求めたわけで、まことに興味深い話だが、この点についてはいずれ触れる時が来るはずである。
ここはよくわからないが、水中に火を求める、という矛盾性はおもしろい。
ここで私が不思議に思うのは、折り取った固い櫛の歯に、イザナギはどうやって火をつけたのか、ということである。先に見たオオクニヌシとヤマトタケルに関わる記述では、それぞ れ火をつくり出す方法――つまり摩擦法(火鑽法)と打撃法――を明らかにしている。しかもそれは、オオクニヌシからヤマトタケルへという時間の推移に対応するかの如く、発火法はより合理的になっているのだ。
しかし、イザナキの場合には、一切説明がない。神話だから、何でも可能なのだとも考えられるが、そうだとすると後の二つの例に具体的な発火の方法まで記してあることの意味が分からなくなってしまうではないか。
『古事記』は、神話の時代の物語であるが、当時のヒトの生活がベースになっているはず。
特に最初の神であるイザナギが、どうやって火を扱っていたか。
ここに着目した疑問。ここでは疑問の提示のみ。答はない。
ちなみに、現在判明している、古い発火法としては、以下の4つ。
摩擦法
オオクニヌシ
打撃法
ヤマトタケル
圧縮法
圧縮法とは、東南アジアで広く見られた方法で、ピストンで気体を圧縮して点火させる
光学的方法
ところで、いずれの発火法をとるにせよ、そこで得られる火はそれこそ電光石火のものなので、それを取留める必要があった。そのためにホクチ(火口)が考え出される。
マッチの導入によって、二〇〇〇年来の火の文化は大きく変貌した。さらにライターが登場するに及んで、人類はようやく、火をつくるためのの苦労から解放されることになる。しかしそれは、たかだか一〇〇年前の出来事であったことを、忘れてはならない。
明治維新による西洋化で横浜に初めてガス灯が設置された(1872年、明治5年)ことを、歴史の授業などで聞いた記憶はあるだろう。これもガス灯の担当者が、毎晩、種火をもってガス灯に火をつけて回っていたという。
また、ガスを使用したコンロは、1900年前後に普及が始まったという。
ガスの利便性は素晴らしいものだが、ここで重要なのは、それまでヒトは、明かりをとるだけでも、いちいち火をおこす必要があったということ。ほんの100年ほど前のこと。
#### 4 火の保持と更新
火をつくるのが容易ではなかったときには、人々はつくり出した火を大切に保とうと試みたことであろう。柳田國男は、「日本では昔は火を作り出す役と、出来た火を大事に管理する役目とが、男と女との分業になつて居たのではないかと思ひます」(「火の昔』)と言っている。
火は家の生活の要にあって、日常性の象徴であった。それは家の存続を保証し、家族はそれで調理された料理を共にすることで、一体感を強める。だが、時間の経過に伴って、その日常性にも穢れが生じたり、災厄に見舞われたりする。
それ故、人生の節目――誕生、結婚、葬式といった――や年の変わり目などには、古い秩序の更新と死や病などの災厄の払拭が必要になるのだ。
その際、火が用いられたが、火は穢れに敏感なものと考えられたので、それを扱うに際しては、細心の注意と配慮が必要とされた。
(中略)
このように見てくると、火には物質的な次元から精神的な次元に至るまで、 他 のものに働きかけて意味あるものに変換する媒介作用を持っていることがよ く分かる。既に料理の所(第一章第三節)で詳しく見たように、生のものを調理されたものに、自然を文化に、あるいは、歳れたものを清浄に変えてしまうのだ。だから、時間の経過に伴って衰退し不浄性を帯びざるを得ない日常性に、新しい生命力を付与し再活性化させるのも、この火の媒介作用によるものなのである。
ここが本章のハイライト。
「同じ釜の飯」の核心は、同じ火を使った料理を口にすることで、「他人」といういわば敵性を火によって「仲間」に変質させる行為であるという。
また、日常とは時間の経過に伴う衰退であると定義し、その更新に火を用いるという視点は、直感とも一致する。
しかし、ただ火が穢れを取り除くだけのものではないという点も、複雑ではあるが、
火は忌に通じるとされ、穢れは火を媒介にして感染すると考えられたので、右に見たように死忌の黒不浄や血忌の赤不浄には、格別の注意が払われてきた。